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浄妙寺

浄妙寺寺伝によると大同元年(806)平城天皇の御母乙牟漏皇后とも阿波の尼僧西阿弥の建立ともいわれています。

開山は唐僧如宝和尚といわれ、もとは七堂伽藍の名刹であったらしく、嘉応元年(1169)に宮崎定範がこの地方を領してから70石の寺領を受けています。それが天正13年(1585)の兵乱によって、堂舎及び縁起など焼けましたが、薬師堂と多宝塔だけは密林の中にあったため、兵火を免れることが出来ました。

この寺には文化財が多く、薬師堂と多宝塔は建造物として、薬師堂に安置されている木造薬師如来、両脇侍像、木造12神将立像は彫刻物として、蓮華唐草文螺鈿須弥壇は工芸品として、それぞれ国指定の重要文化財となっています。

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